ZAZEN BOYS向井秀徳の平成音楽史 (4)

TBSラジオワールド ZAZEN BOYS向井秀徳の平成音楽史 (1)
TBSラジオワールド ZAZEN BOYS向井秀徳の平成音楽史 (2)
TBSラジオワールド ZAZEN BOYS向井秀徳の平成音楽史 (3)の続き。

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そうですね、東京に出てきました。
上京当時ですね、わたしはですね、東京に対して
テレビもですね、ああいう警視庁24時とかの番組の影響か、がありましてですね。
東京に対して冷たく荒涼としたイメージを持ってたんですよ。
そういったイメージの、こう、東京シティーを、こう…の中を、
軽やかに爽やかに突っ走る、疾走する透明少女、
というイメージを曲にしたんですね。
そういったイメージの中で東京生活が始まりました。
警視庁24時のイメージが結構でかかったですね。わたし最初は。
ま、殺伐とした…都会のイメージですかね。
ま、のちにね、東京に…生活するようになって、
そういったイメージってのも覆っていったんですけどね。
東京は東京の中に色んな、こう…日常、社会がありまして、
人びとの暮らしがあるという。
…こう思っていくんですけどね。

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(平成11年・1999年)


くるり / 東京 )さよならストレンジャー
向井君こんばんは。くるり岸田繁です。ご無沙汰してます。
えーと、向井君と知り合った、時期。えーと、あそうやなんか、
えっと、NHKかなんかのライブのイベントがあって
でそこに、えーと、僕らのくるりっていうバンドが出演したんですけど、
そのときに、えー、ナンバーガールというバンドが、出ていて、
えー、僕は楽屋の袖から聞いてて、鋭い音を、鳴らすバンドや、と思って。
警戒をして。で、ガールっていうから、横から女性メンバーが見えたんで、
女性が歌ってる音やと、思って。
僕はその女の子が歌ってると思ってたんですけど。
で、そのあと打ち上げみたいのがあって、みんなでどっか居酒屋に行って、
そこで、ベースを弾いてた人と、その女の子と酒を飲んでたんですけど。
いかにも、ライブを、僕が見たかのような、あなた達最高です、と、
その女の子に向かって喋ってたんですけど。
えー、僕がスタッフやと思ってた人が、実はボーカルやったと。
NHKの方々と思ってたんですよ。
でー、そのNHKの方が向井さんやったんで、あそうかと、思いましたね。
それが、向井秀徳との出会いですね。
えーそのあと、下北のとあるおでん店で雑誌対談みたいな
やつをすることになって、そのときも、若かったんで、
なんだこのNHKはと、半分心で思いながら話してたんですけど、
えー、酔っ払いまして。でそのあとは大体向井君と会うときは
酔っ払ってることが多かったんですけど、
ちょっと最近ここ1年くらいお会いしてないような気がするんで。
まあ、気が向いたら、また酔っ払いたいなと思ってたりもするんですけども。
大体いつもね、その、確定申告のときくらいに会うことが多いんですよね。
確定申告の話をしたような記憶がありますね。
お互いミュージシャンなんで、そういう話は、やめましょうね。
えー、くるりの岸田でした。

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えー、くるりくるり。こう、まさにそうですね。
わたくしがセーターみたいな物を着て、
かなりNHKの職員さんに、間違わられたのではないかと、思い出します。
セーターを着てたような気がするなぁ…
そう、くるりの最初の印象はですね、確かにね、その打ち上げの、
そのライブの、対バンしたライブの打ち上げの席で、シゲルキシダが、
その、我々の他のメンバーに向かって鉄道の話とかをしてたと思うんですよね、
固そうだなと思いましたね最初はね。
それは頭が固いとかじゃなくて、骨が固そうだと、
そんなにね、固い…良くないと思うんですけども、
シゲルキシダは骨が固そうだなぁという印象がありましたね。
えー、そういった印象がありました。
まああの、ローリングストーンズ大好きのシゲルキシダでありまして。
また、ストーンズを肴に酒でも飲みたいと思っておりますよ。


そうですね、そういったあの、
ナンバーガールが…こう東京で活動し始めました…年の、
1999年にですね、
北海道でライジングサンロックフェスティバルってのがあったんですね。夏に。
これに我々出まして、
今考えると結構豪華なラインナップだったと思うんですけども。
えー、椎名林檎さんとか電気グルーブとか、ブランキージェットシティー
こういったね、あのー、我々はですね最初の方にもう昼に出番を終え、
そっからね、ずっと最後までわたくしは延々飲みながら過ごしました。
飲みながらうろつきまわりましたね。会場を。
ずーっとそうして見てたりしたんですけども、いやこの日本でもこういった
楽しいロックフェスティバルが始まったんやー、と。凄く興奮しましてですね。
こうずっとオールナイトでやるわけですね。
もう、んーそれでかっこいいバンドがいっぱい演奏して
その明け方にブラッドサースティーブッチャーズが演奏したんですけども、
朝日が昇ってくるのと共にね。
このブラ、ブッチャーズのね、ライブが凄く感動的でしたね。
もう半分意識朦朧としてましたですけども。んー、凄く覚えてますね。
で最後の最後に朝日がもう上がりきった後にサニーデイサービス。
このね、最後のサニーデイもね凄くいいライブでした。
この99年のライジングサンは凄く思い出深いですねわたくしとしては。